日蓮聖人略伝


 鎌倉中期の僧。日蓮宗の開祖。生歿年は貞応元年(1222)2月16日から弘安5年(1282)10月13日。幼名は善日麿。のちに薬王丸と名を変えた。生まれは安房国小湊(現、千葉県)。
 12歳の頃から安房の清澄寺で初等教育を受け、
 16歳の時出家し、是聖房蓮長と名を変えた。
 鎌倉・京畿の諸寺に遊学す。
 建長5年(1253)4月28日、(この日より日蓮と名を変えた)清澄寺麻綿原・旭が森で初めてお題目(南無妙法蓮華経)を唱えた(立教開宗)。
 浄土教を批判したため同寺を追放され、相模国鎌倉で布教。
 文応元年(1260)7月16日、法華信仰勧奨と念仏信仰禁圧を提言する『立正安国論』を執筆し、前執権北条時頼(最明寺入道時頼)に提示するが、翌年弘長元年(1261)5月12日、捕らえられて伊豆国伊東へ流刑。
 弘長3年(1263)、流罪を赦免されてからも、法華信仰を主軸とした諸宗批判と幕政批判を続ける。
 文永8年(1271)9月12日、幕府は日蓮大聖人と門弟の言動を反社会的運動として弾圧。日蓮大聖人は相模国竜口での斬首の危難を免れ、佐渡国へ配流。
 佐渡配流中、信仰と思想の深化を『開目抄』『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』に表す。
 文永11年(1274)に赦免されてからは、甲斐国身延山に入山、著作活動と門弟教育に専念。
 弘安5年(1282)下山し、武蔵国池上の池上宗仲邸で、後事を日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持ら直弟6人(六老僧)に託して歿した。



日大聖人御一代化導次第之図