日蓮聖人略年表



貞応元年(1222)2月16日、(承久4年4月13日改元)安房国小湊に誕生。幼名、善日麿と言う。

天福元年(1233)5月12日清澄入山、道善房に師事。 聖寿12歳

嘉禎3年(1237)出家、是聖房と名乗る。 聖寿16歳 

暦仁元年(1238)鎌倉遊学。約3年 聖寿17歳

仁治3年(1242)京畿遊学。約12年 聖寿21歳

建長5年(1253)4月28日、立教開宗。この頃から日蓮と名乗る。清澄にて法華最第1の初転宝輪をし、その為に追放され鎌倉へ。聖寿32歳

正嘉元年(1257)8月23日、正嘉の大地震(鎌倉を中心に起こる) 聖寿35歳

文応元年(1260)7月5日、文永の大彗星 聖寿39歳

文応元年(1260)7月16日、『立正安国論』を述作し、前執権北条時頼(最明寺入道時頼)に建白・諫暁す。 聖寿39歳

文応元年(1260)8月27日、鎌倉松葉ヶ谷の御草庵が夜襲される。 聖寿39歳

弘長元年(1261)5月12日、伊豆国伊東へ流罪【伊豆法難】。 聖寿40歳

弘長3年(1263)2月22日、伊豆流罪を御赦免。  聖寿42歳

文永元年(1264)11月11日、安房国長狭郡で東条景信に襲撃される【小松原法難】。 聖寿43歳

文永8年(1271)9月12日、佐渡流罪決定、平頼綱に捕らえられ、13日未明、鎌倉片瀬の龍の口で斬首を免る【龍口法難】。その後、日蓮聖人は依智の本間邸に拘留され、門弟の日朗等 も投獄される。聖寿50歳

文永8年(1271)10月10日、相模の依智を発ち、28日、佐渡に到着。 聖寿50歳

文永9年(1272)2月、『開目抄』を述作。同月、京都で二月騒動(北条時輔の乱)おこる。4月、一の谷に移る。 聖寿51歳

文永10年(1273)『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』を述作。 聖寿52歳

文永11年(1274)2月14日、佐渡流罪を赦免。3月13日、佐渡出発、3月26日、鎌倉帰還。 聖寿53歳

文永11年(1274)4月8日、平頼綱より蒙古問題について相談を受け、蒙古襲来の近きことを諫暁す。5月12日、鎌倉を発ち、17日、身延入山。 聖寿53歳

文永11年(1274)10月5日、文永の役(蒙古襲来)勃発。 聖寿53歳

建治元年(1275)6月、『撰時抄』を述作。(文永12年4月25日改元) 聖寿54歳

建治2年(1276)3月、道善房死去の報に接し、7月21日、『報恩抄』を述作。

弘安元年(1278)三度目の流罪の噂立つ。

弘安2年(1279)8〜10月、駿河方面の門弟に弾圧が及ぶ。(熱原法難)。 

弘安4年(1281)6月、弘安の役(蒙古襲来)おこる。

弘安5年(1282)9月8日、下痢の病のため身延下山。18日、武蔵国池上の宗仲兄弟の邸に到着。「立正安国論」を講義す。

                 10月13日、同地にて入 滅。